カラテスタイルの歴史




2002年3月  八尾シルキーホールでハカセ・たぁちゃん・ゴボウ・ひろしがウコウに出会う。

        このときハカセ達は「DJ田中」(バンドです。たぁちゃんはドラムでした。)、ウコウは「SMALL PACKAGE」と言うバンドに在籍。

        その打ち上げで若干、言葉を交わす。

        親友バンド「TEEN☆TEEN」との出会いもこの日。



2002年4月  上記のイベントの続きで大阪城公園で花見をする。

        その帰り際、ウコウとハカセはケンカになる。ハカセはあと一歩でウコウを殴る勢いだったと人は言う。

        ハカセ、ウコウが嫌いになる。



2002年6月  この頃には何故かウコウとハカセは互いの家で話をする仲なる。

        2人、スタジオでジャムったりするようになる。

        ウコウは「SMALL PACKAGE」解散をきっかけに「NICE GUY」に加入。



2002年 夏  ハカセとウコウは何故か一緒にコンパに行く。

        他を無視して二人で盛り上がる。帰りにスタジオでジャッムる。



2002年10月 「DJ田中」、2002年の末日をもって無期限の活動休止が決まる。

        この頃どす恋が「DJ田中」にTb.で加入。



2002年12月 26日 ウコウ・ハカセ、とある1ルームマンションの外で寒空の下で煙草を吸いながら一緒にバンドすることが決まる。

        31日 アメ村アトランティクスで「DJ田中」が惜しまれながらステージを降りる。



2003年1月  ウコウは「NICE GUY」のヘルプとなる。

どす恋とひろしを新しいバンドに誘う。

        ハカセ・ウコウ・どす恋・ひろしの4人でスタジオに入る。

        幻の曲「カラテ1」をやる。

        たぁちゃんが何故かSaxで加入することもほぼ決まる。



2003年2月  ゴボウを誘う。とりあえずヘルプで誘う。

        その後、気がつけば自然と普通のメンバーとなる。

        4月のイベント「感ひ出」@SUN HALLのオープニングアクトを依頼されギターがいないのに快諾。

        あせってギターを探し始める。

        結果、インターネットのメン募「FTR」というH.N.の人間に出会う。

        電話での対応があほっぽかったにも関わらず、ハカセには良い勘がする。

        ハカセと「FTR」こと和田信哉はミナミで会う。デモテープを和田氏に渡す。



2003年3月  「FTR」こと和田信哉がスタジオにやってくる。

        初めて一緒に演奏する。

        「カラテ4」のギターがかっこよかったのでハカセは気に入る。

他のメンバーは微妙だと言うがハカセのゴリ押しで即加入決定。

カッコイイあだ名が欲しいと言う和田氏に「ゼット」と名づける。意味はない。

どす恋は初対面でゼットの股間を触る。特に意味はなかったらしい。

約200近くあったバンド名を全て却下し、何故か「カラテスタイル」という名前に決まる。→バンド名候補が気になる方は コチラ

第一弾ステッカー製作。ポケットティシュも大量に買い込む。

ゴボウが携帯用のステッカーを製作。

3月末日をもってウコウは「NICE GUY」を脱退。



2003年4月  オープニングアクトで初ライブ。全員でへこむ。

        ゼットはへこみ過ぎて本番後消える。

        カラテスタイルのHPが出来たのもこの頃。



2003年春   持ち曲3.4曲でもライブをする。幻のインスト「カラテ3」もセットリストに入っていた。

   この頃ゼットは全然、打ち解けておらず会話も少なかった。

        この時期のライブで相当へこみ自信を失うも、カラテスタイルという方向に自信を持つことで持ち直す。

        単独のVo.が欲しいと言うことでウコウの同僚「まえもっさん」と何度かスタジオに入る。

        しかし、どす恋が歌いたいと言い出し「まえもっさん」はステージに立つことはなかった。

        こうして現在の編成になる。

        アトランティクスのライブでライブの本番前にひろしがモノマネ(?)のようなネタを披露するも思いっきりすべる。

        森山直太郎の「さくら」であった。

ひろしはその日、神経性の胃炎に悩まされる。



2003年7月  レコーディングを宮木氏(マッスル社長)に依頼し音源を作り始める。

        普段、温厚な宮木氏が初めて切れる。カラテスタイルはみんなで謝る。

        ようやくゼットが自分を見せ始め、気持ちが悪い人間だと気がつく。

        ゼットのひろしへの片想いはこの頃はじまる。

        どす恋のVo.初ステージ@SUN HALL。本番後どす恋は消える。

        カラテスタイルの節目はいつもSUN HALL。へこんだ人間が姿を消すのもSUN HALL。

        音源を売り始める。

        このSUN HALLのライブで本番前にドラム・ひろし、ギター・ウコウ、ベース・ゴボウで「カラテ2」を演奏する。

        ウコウはこの日、極度の緊張により神経性の胃炎に悩まされる。

        ゴボウはサビの部分をアカペラで歌いきる。



2003年10月 ストリートライブも出させてもらうようになる。この頃から確実に支持者が増え始める。

        精力的なライブ活動が続く。

        携帯用のHPができたのもこの頃。

        何かにつけてメンバーで飲むようになる。その頻度は普通ではなかった。



2003年11月 2回目のレコーディングを宮木氏(筋肉マン)に依頼。

        4曲をとり始める。



2003年12月 第二弾ステッカー製作・配布。



2004年1月  新しい携帯用ステッカーをゴボウが製作するもウコウの一言で廃盤となる。

        ものすごくレアなステッカーとなる。



2004年3月  大阪以外のライブハウスにも進出。

        2ND DEMO CD-R発売。

        ゴボウ・どす恋・たぁちゃん、パピーペットのRECにゲスト参加。

        (その音源は8月に発売予定→♯春ツバメ)



2004年5月 5/1全国有名レコード店流通のV.A.「パッキンジゴク」参加。  

       カラテ2を収録。

       

2004年6月 東京のメロディスタースタジオでRECをする。

       丸二日でどえらい勉強をして帰ってくる。

       上手に成長期を乗りこなしたい所である。



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